水嶋ヒロの父親の意外な職業が判明!名門サッカー部で活躍した高校時代

2009年にシンガーソングライターの絢香さんと結婚され、2015年には第一子女児が誕生、イクメンぶりが話題になった水嶋ヒロさん。実はお父さんが意外な職業でした。また、高校時代は名門サッカー部に所属し、活躍されていたそうです。相当打ち込んでいたサッカーを諦め、芸能界に入ったのには、お父さんとの関係が大きく影響していたようです。詳しく調べてみました。

スイスで過ごした少年時代

水嶋さんはお父さんの仕事の関係で、幼少時代から小学校卒業までをスイスの
チューリッヒで過ごした帰国子女です。このため英語は非常に堪能です。

けれど、このスイス時代は日本人であるというだけで相当な差別やいじめを経験したと言い、
水嶋さんにとってはこのスイスで過ごした時期というのは、非常に辛いものだったようです。
そして、そんな思いをすることになった怒りを親に向けていたそうです。




水嶋さんのお父さんは、現在の浦和レッズの前身となる日本サッカーリーグの三菱重工
サッカー部で活躍された齋藤孝さんです。(ちなみに、水嶋さんの本名は齋藤智裕)

スイスへ移住されたのは、選手としてではなく、社業として転勤されたためのではないかと
思われます。日本サッカーリーグの時代は、選手引退後に社業に専念というパターンになる選手は
多かったそうなので、水嶋さんのお父さんも、恐らくそのパターンではないでしょうか。

とても厳格な方だったようで、水嶋さんはこのお父さんとはデビュー前から
確執があったと言います。

小さいときから父親は仕事仕事で、ヒロくんには遊んでもらった思い出がほとんどない。半面いつも文武両道、優等生であることを求められて、彼はいいたいことを我慢するような性格になっていったんです。(水嶋家を知る人)
出典:NEWSポストセブン

学校ではいじめられ、家庭では父親に相手にされなかったというのは、少年時代の水嶋さん
にとっては、とてもきつかったでしょう。

けれど、ご両親もきっと慣れない土地で必死で戦っていらしたのではないでしょうか。
心の余裕のない状態で、互いにすれ違っていったのかもしれませんね。

サッカーに打ち込んだ中高校時代

お父さんとは難しい関係だったようですが、水嶋さんが高校時代に打ち込んだのは、他ならぬ
サッカーでした。反発しながらも、どこかで父の背中を追う気持ちもあったのでしょうか。

小学校を卒業して帰国後、桐蔭学園中学校・高等学校に入学、サッカー部に所属しています。
同校のサッカー部は全国優勝の経験もあり、多くのプロサッカー選手を輩出する名門です。

卒業生には、日本代表としても活躍をし、日韓ワールドカップ代表にもなった戸田和幸さんや、
森岡隆三さんなどがいます。

そんな名門で、水島さんは高校3年生のときの第81回全国高等学校サッカー選手権大会で
レギュラーのMFとして活躍され、神奈川県代表としてベスト4にまで進出されました。

これだけの名門でレギュラーを勝ち取るには相当な努力をされたようで、高校生で既に
恥骨が半分にすり減ってしまっていたと言います。

ここまでになってしまうと炎症を伴って相当痛みがあったのではと想像されますが、
さらに追い打ちをかけるように足首も故障してしまいます。

将来有望な選手として期待されていましたが、これにより選手生命は完全に断たれてしまいました。

高校卒業後は慶應義塾大学環境情報学部に進学されましたが、留学するための資金集めのため
アルバイトを探していたところ、芸能関係の仕事をしていた先輩からモデルの仕事を紹介され、
ファッションモデルを始めます。

その後、芸能事務所の人から声をかけられ、水嶋さんは本格的に俳優の道に進むことに
なったのでした。

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芸能界入りと父との確執

水嶋さんは、そもそも芸能界の仕事を自身の将来の仕事にしようとは思っていなかったようです。

そもそもヒロくんが芸能界にはいったのは、サッカー選手としての夢を足首の故障で諦めたときにたまたまスカウトされたから。将来の仕事にしようとまでは思ってなかったんですが、父親が猛反対したことで、何かプツリとキレたみたいです。反発心から芸能界にはいった部分も大きいんですよ」(水嶋家を知る人)
出典:NEWSポストセブン

実はこの確執は、水嶋さんの2009年の綺香さんとの結婚まで尾を引いていました。
特にお父さんはこの結婚に当初大反対されていたと言います。

いくら人気があるとはいえ、デビュー間もないヒロくんは、新入社員のようなもの。事務所にも申し訳ないし、未熟な息子が病気の妻を支えていくなんてとてもできないだろうと、何度もヒロくんに説いたそうです
出典:NEWSポストセブン

けれど水嶋さんはそんな反対も「病気があったからこそ、守ってやりたいという気持ちも大きく、
結婚という決断を急いだ」と、押し切ります。

それでも、親族のみで行われた式にはお父さんも出席されていたと言いますから、
お父さんも一人の成人した男として、自身の決断に責任を持ちなさいと送り出す気持ちが
あったのかもしれません。

この結婚にも、ひょっとしたらお父さんへの反抗心も多少あったのかな、と推測
してしまいますが、逆説的な意味で、父への反抗心が人生の節目で大きな推進力となっている部分が
あるのかもしれません。

2014年の映画「黒執事」以来、目立った俳優活動のない水嶋さんですが、2010年には
小説『KAGEROU』で第5回ポプラ社小説大賞を受賞、2016年には株式会社3rd i connectionsを
設立し自ら代表を務めたり、株式会社じげんの“CLO”(=チーフ・ライフスタイル・オフィサー)に
就任するなど、マルチに活動されています。

俳優業も小説家としても中途半端だという声もありますが、それぞれに光るものがあり、
現在の状況を惜しむ意見もあります。

守るべき妻子を持って、これで終わろうとはご本人も思ってはいないでしょう。
さらなる水嶋さんの活躍を期待していきましょう!

こちらの方も、病気の奥様を支えようとご結婚を決意されました。

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